JA/751112b 朝の散歩 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 ボンベイ: Difference between revisions

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JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴
"人々は、神が欺かれ、自分たちも欺かれる宗教が大好きです。人々はあらゆる罪を犯し免罪される、つまり神は欺かれている、そして「私は罪を犯し続けても、神は許してくださるだろう」と思っているなら、それも欺瞞です。罪を犯し続けても許してくれるほど、神は愚かなお方であるかのように。これは詐欺です。これは宗教ではありません。神は直々に語っておられるのです。yeṣ tv anta-gataṁ pāpa_1E41↩ janānāṁ puṇya-karmaṇām (BG 7.28) 人々は「私は罪を犯し続け、神は許してくれるだろう」と考えます。神は許すでしょうか。これは愚かさです。神は一度や二度や三度なら許してくださるでしょう。しかし日々罪深い行為を犯しておいて、神は許してくださるだろうというのは、全くナンセンスです。"
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