JA/750723 講義 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 ロサンゼルス: Difference between revisions
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Latest revision as of 15:12, 11 March 2024
JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴 |
"だから、この身体、daihyasyaを受け入れた者は誰でも、そして彼が何をしていようとも、それはすべて多くの証人に目撃されています。どうやって避けることができますか?どうやってこっそり秘密裏に何かを出来るのですか?そんなことは不可能です。すべてが記録されています。ですから罰も報酬も受け入れなければなりません。なぜなら私たちは自立していないからです。私たちは愚かにも自立していると言います。「誰のことも気にしない。神などいない。」でも死はあります。それを信じなければなりません。ですから死は神なのです。クリシュナは言われます。ahaṁ mṛtyuḥ sarva-haraś ca(私は一切を貪り食う死である) (BG 10.34). 生きている間に神を見なかった者は、死の時に神を見ることになる。ですから神を見ないという問題はありません。" |
750723 - 講義 SB 06.01.42 - ロサンゼルス |