JA/760702 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 ニューブリンダバン: Difference between revisions
(Created page with "Category:JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴 Category:JA/甘露の滴 - 1976 Category:JA/甘露の滴 - ニューブリンダバン {{Audiobox_NDrops|JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴|<mp3player>https://s3.amazonaws.com/vanipedia/Nectar+Drops/760702SB-NEW_VRINDAVAN_ND_01.mp3</mp3player>|"至高の神の帰依者になることは不自然なことではありません。とても簡...") |
mNo edit summary |
||
Line 2: | Line 2: | ||
[[Category:JA/甘露の滴 - 1976]] | [[Category:JA/甘露の滴 - 1976]] | ||
[[Category:JA/甘露の滴 - ニューブリンダバン]] | [[Category:JA/甘露の滴 - ニューブリンダバン]] | ||
{{Audiobox_NDrops|JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴|<mp3player>https://s3.amazonaws.com/vanipedia/Nectar+Drops/760702SB-NEW_VRINDAVAN_ND_01.mp3</mp3player>|" | {{Audiobox_NDrops|JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴|<mp3player>https://s3.amazonaws.com/vanipedia/Nectar+Drops/760702SB-NEW_VRINDAVAN_ND_01.mp3</mp3player>|"至高人格神の帰依者になることは不自然なことではありません。とても簡単で、自然なことです。私たちは生まれながらにして、クリシュナもしくは至高人格神に執着しています。どういうわけか、状況的に、私たちは分離しています。分離しているわけではありません。なぜなら、ここにはātmatvāt:至高人格神と明言されているからです。また私たちは自分が至高主とは違うと思っていますが、至高主は私たちの心の中にいるのです。Īśvaraḥ sarva-bhūtānāṁ hǥ deśe arjuna 至高主はすべての者のハートに宿る([[Vanisource:BG 18.61|BG 18.61]]). 私たちは神の言葉さえ好まないが、神はとても親切で、私の心の中に座っておられます。神は、私、生きとし生けるものが神の方を向く機会を、ただ心待ちにしておられるのです。神はいつも心配しておられます。"|Vanisource:760702 - Lecture SB 07.06.19 - New Vrindaban, USA|760702 - 講義 SB 07.06.19 - アメリカ・ニューブリンダーバン}} |
Latest revision as of 09:34, 9 April 2024
JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴 |
"至高人格神の帰依者になることは不自然なことではありません。とても簡単で、自然なことです。私たちは生まれながらにして、クリシュナもしくは至高人格神に執着しています。どういうわけか、状況的に、私たちは分離しています。分離しているわけではありません。なぜなら、ここにはātmatvāt:至高人格神と明言されているからです。また私たちは自分が至高主とは違うと思っていますが、至高主は私たちの心の中にいるのです。Īśvaraḥ sarva-bhūtānāṁ hǥ deśe arjuna 至高主はすべての者のハートに宿る(BG 18.61). 私たちは神の言葉さえ好まないが、神はとても親切で、私の心の中に座っておられます。神は、私、生きとし生けるものが神の方を向く機会を、ただ心待ちにしておられるのです。神はいつも心配しておられます。" |
760702 - 講義 SB 07.06.19 - アメリカ・ニューブリンダーバン |