JA/BG 1.1

Revision as of 13:29, 28 July 2020 by Anurag (talk | contribs) (Bhagavad-gita Compile Form edit)
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)
His Divine Grace A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupāda


第 1 節

ドリタラーシュトラ ウヴァーチャ
ダルマクシェートレー クルクシェートレー  サマヴェーター ユユツァヴァハ
マーマカー パーンダヴァスチャイヴァ  キマクルヴァタ サンジャヤ

Synonyms

dhṛtarāṣṭraḥ uvāca — ドリタラシュートラ王は言った; dharma-kṣetre — 巡礼の地において; kuru-kṣetre—クルクシェートラの地において; samavetāḥ—集まった; yuyutsavaḥ—戦いを望んで; māmakāḥ—私の軍隊; pāṇḍavāḥ—パーンドゥの息子たち; ca—と; eva—確かに; kim—何を; akurvata—彼らは〜をしたのか; sañjaya — おお、サンジャヤ

Translation

ドリタラーシュトラ問う:サンジャヤよ、聖地クルクシェートラで戦うべく大軍を集結したわが息子たちとパーンドゥの息子たちの形勢はいかがであろうか?

Purport

『バガヴァッド・ギーター』は、『ギーター・マハートミャ』(ギーターの賛美)に要約されて、すでに多くの人々に読まれている神の科学です。そしてバガヴァッド・ギーターを読むにあたっては、次のことが必須条件とされています。1.わからない所はシュリー・クリシュナの献身者に聞きながら、心をこめて綿密に読むこと。2.個人的見解を加えずに、ありのままを理解するように努めること、この二つです。一点の曇りもない理解の例は、『バガヴァッド・ギーター』のなかに明示されています。それは、主なる神から直接に教えを聞いたアルジュナの場合です。もし誰か幸いにも、ここから代々正統な弟子たちによって伝えられた『バガヴァッド・ギーター』を会得することができたならば、その人はヴェーダの全知識と世界中の全聖典を学習した以上の知恵を持ったことになります。なぜなら、ギーターの内容には、古今東西の聖典に書いてあることはすべて含まれていて、その上、他のどの聖典にも出ていないことが、至る所にちりばめているからです。これがギーターの特質で、不滅の権威なのです。そしてこれこそ、完全な’神の科学’です。バガヴァーンである主クリシュナが、直接に語られたものだからです。

『マハーバーラタ』は、この偉大なギーター哲学の基本原則が土台となっている叙事詩で、いまドリタラーシュトラとサンジャヤが話題にしている事態の前後が、こと細かに描写されています。この大哲学は、クルクシェートラの戦場で開示されましたが、この地は太古、ヴェーダの時代から巡礼の聖地でした。そして人類を導くために、主なる神が一個人としてこの地球に出現されて神自らがこの真理を語られたのです。

この地を、ダルマ・クシェートレ(宗教儀式が行われる所)と呼ぶのは、まことに意義が深いでしょう。このクルクシェートラの戦場において、バガヴァーンがアルジュナの傍らにおられたのです。アルジュナの敵、クル兄弟の父親、ドリタラーシュトラは、自分の息子たちは勝てないのではないかと、大いに心配していました。ですから秘書のサンジャヤに質問したのです。「私の息子たちと、パーンドゥの息子たちの様子はどんな具合かね?」と。彼は、自分の息子たちと、弟パーンドゥの息子たちが、もうあとにひけない決戦のためクルクシェートラに集結していることをよく知っていました。それなのに、このような質問をするのは、非常に意味深長です。いとこ同志が譲歩しあって決戦を避けることは彼は望んでいません。ですが自分の息子たちの運命を思うと不安でたまらないのです。その原因は戦場がクルクシェートラだからです。そこは礼拝の地であるとヴェーダにあります。人間ばかりか天界の住人にとっても聖なる土地なのです。そのことが戦争に何か影響を及ぼすのではないかと、ドリタラーシュトラは恐れていたのです。アルジュナたちパーンドゥ兄弟は、生まれつき徳高く実に善良です。したがってこの戦場の風は、彼らにとって有利に吹くでしょう。サンジャヤはヴャーサ聖者の弟子で、師の恵みによって彼は天眼天耳通でした。つまり居ながらにして遠い戦場の様子が手にとるようにわかったのです。

パーンドゥ兄弟とドリタラーシュトラの息子たちは、祖父を同じくする家族なのですが、ここで、はからずもドリタラーシュトラの心が暴露されています。彼は自分の息子たちだけをクル家の相続人と決めて、弟パーンドゥの息子たちには王家の財産を分け与えていません。甥、パーンドゥ兄弟と、伯父ドリタラーシュトラとの関係がどういうものか、容易に想像がつくでしょう。稲田では、余計な植物はすべてぬき稲だけにします。まさにそのように、この宗教的土地に宗教の父である主シュリークリシュナが現れて、ふさわしくない植物、つまりドゥルヨーダナを長兄とするドリタラーシュトラの息子たちは根こそぎになり、一方まったく宗教的な人間であるパーンドゥの息子たち、ユディシュティラを長兄とする五人兄弟が主なる神によってその地位が確立安定する。このような成り行きがはじめから予想できます。歴史上、、ヴェーダ学上のことは別にしても、これがサンスクリット原文に、ダルマクシェートレー・クルクシェートレー(聖なる地、または正義の行われる地、クルクシェートレーにおいて)と、書いてあるゆえんです。