JA/BG 5.27-28

Revision as of 08:09, 1 August 2020 by Navakishora Mukunda (talk | contribs) (Bhagavad-gita Compile Form edit)
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)
His Divine Grace A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupāda


TEXTS 27-28

sparśān kṛtvā bahir bāhyāṁś
cakṣuś caivāntare bhruvoḥ
prāṇāpānau samau kṛtvā
nāsābhyantara-cāriṇau
yatendriya-mano-buddhir
munir mokṣa-parāyaṇaḥ
vigatecchā-bhaya-krodho
yaḥ sadā mukta eva saḥ

Synonyms

sparśān — 音などの感覚の対象; kṛtvā — 保って;bahiḥ — 外部に; bāhyān — 不必要な; cakṣuḥ — 目; ca—もまた; eva — 確かに; antare — ~の間に; bhruvoḥ — まゆ; prāṇa-apānau — 下上に流れる気; samau—停止して; kṛtvā—保って; nāsa-abhyantara — 鼻孔の中に; cāriṇau — 息を吹く; yata — 支配された; indriya — 感覚; manaḥ—心; buddhiḥ—知性; muniḥ — 超越主義者; mokṣa — 解放に; parāyaṇaḥ — そう運命づけられて; vigata — 捨て去って; icchā — 望み; bhaya — 恐れ; krodhaḥ — 怒り; yaḥ — (~である)人;sadā — 常に; muktaḥ — 解放された; eva — 確かに; saḥ—彼は~である

Translation

感覚を外界の事物からさえぎり、視力を眉間に集中して呼気と吸気を鼻孔の中に留め、こうして心と感覚と知性を支配し、解脱を目指す超越主義者は、欲望と怒りと恐れから自由になる常にこのような境地にある人は、間達いなく解脱しているのだ。

Purport

クリシュナ意識の修行をしていると、すぐに自分が精神的存在であることがわかる。そして至上主に献身奉仕することを通じて、至上主のことがだんだんわかってくるようになる。正しい方法で真剣に献身奉仕を続けていると、いつしか現世を超越した所に立つようになり、自分の行動のなかに主の臨在を感得することができる。これを最高の境地への解脱と称する。

その様に説明した後で主はアルジュナに、アシュタンガ・ヨーガの八段階修行によってその境地に達する方法を伝授された。八つの段階とは、ヤマ、ニヤマ、アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤーハーラ、ダーラーナー、ディヤナ、そしてサマーディのことである。ヨーガについては第六章で明白詳細に解説されているが、この五章の終わりのところでは子備的な説明がされている。修行者はプラティヤハーラによって、音、感触、色形、味、臭いなど感覚の対象から自分を達ざけ、それから視力を眉間に留めて半眼で鼻頭に集中する。面眼を完全に閉じてはいけないー眼ってしまうおそれがあるからである。普通に開けていると、感覚の対象物に気が散る危険がある。だから半眼が最も効果的なのである。体内で上下に動く気流を中和させて、呼吸運動を鼻孔の中で停止させる。こうしたヨーガの実修によって、感覚を抑制し支配することが可能となり、最高の境地への解脱を得る。

ヨーガの実修によって人はあらゆる種類の恐怖と怒りを克服し、やがて超越した境地に達して、スーパソウルの存在を悟る。だが見方を変えると、クリシュナ意識こそ、ヨーガ道達成の最もやさしく楽な方法と言える。このことは次の章で十分に説明しよう。常に主に献身奉仕をしているクリシュナ意識の人は感覚を支配するのに何も他の方法に頼る必要はない。クリシュナ意識の道の方が、アシュタンガ・ヨーガより、感覚をコントロールするのにずっとすぐれているのである。