JA/BG 6.36

Revision as of 09:07, 1 August 2020 by Navakishora Mukunda (talk | contribs) (Bhagavad-gita Compile Form edit)
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)
His Divine Grace A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupāda


第 36 節

asaṁyatātmanā yogo
duṣprāpa iti me matiḥ
vaśyātmanā tu yatatā
śakyo ’vāptum upāyataḥ

Synonyms

asaḿyata—放逸な; ātmanā — 心によって; yogaḥ — 自己実現; duṣprāpaḥ—獲得するのが難しい; iti — このように; me — 私の; matiḥ — 意見; vaśya — 支配された; ātmanā — 心によって; tu — しかし; yatatā — 努力しながら; śakyaḥ — 実践的な; avāptum—成し遂げる; upāyataḥ — 適当な方法によって.

Translation

放逸な心を持った人にとって真理のはきわめて困難だ。だが、心を制御し正しい法にって精進すれば必ず成功する、というのが私の意見だ。

Purport

ここでバガヴァーンは宣言される——物質次元から心を離す、という正しい方法をとらなければは得られない、と。物欲、肉欲を満たしながらヨーガの実修をしているのは、の上に水をかけながら火を燃やそうとしているようなものである。心の抑制なしにヨーガを実修するのは、何度も言うとおり時間の空費である。そんな見世物的ヨーガは、お金が儲かったり、またはいくらか健康のためになったりするかもしれないが、精神的進歩に関する限り、全く無用のものである。だから、心を常に主に向けることによって、主に対する超越的愛の奉仕によって、私たちは自分の心を鎮静させなければならない。つまり、クリシュナ意識を持つようにしなければ、心を持続的に制御することはできないのである。クリシュナ意識の人は、別に努力をしなくても、楽にヨーガの目的地に到達する。しかし、ヨーガ修行者は、クリシュナ意識にならないうちは、修行の成功——目的地に達しない。