JA/BG 8.8

Revision as of 13:50, 1 August 2020 by Navakishora Mukunda (talk | contribs) (Bhagavad-gita Compile Form edit)
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)
His Divine Grace A.C. Bhaktivedanta Swami Prabhupāda


第 8 節

アビャサ-ヨガ-ユクテナ
cヘタサ ナニャ-ガミナ
パラママ プルシャマ デエヰヤマ
ヤテエ パルタヌチンタヤン

Synonyms

abhyāsa-yoga — 修練によって; yuktena — 瞑想して; cetasā — 心と知性によって; naanya-gāminā — それることなく; paramam — 至上者; puruṣam — バガヴァーン; divyam — 超越的な; yāti — 人は到る; pārtha—プリターの子よ; anucintayan — 絶えず~について考える

Translation

バーラタよ、私をバガヴァーンとして瞑想し、心で絶えず私を想い、この道から逸脱することのない者は必ずや私のもとに到る。

Purport

この節で主クリシュナは、彼を思い出すことの重要性を強調しておられる。マハー・マントラ、ハレー・クリシュナを唱えることによって、クリシュナへの想いは新鮮に活々となる。至上主の御名を唱え、その音響を聞くことにより、その人の耳も舌も心も修行をしていることになる。この神秘的瞑想は大そう行いやすく、至上主のもとに帰るために助けにとなるのだ。“プルジャ”とは享楽者という意味である。生物は至上主の中間エネルギーに属しているが、物質汚染されている。彼らは自分たちを享楽者、享受者だと思っているが、生物は究極的な享楽者ではない。至上の享楽者はバガヴァーン御一人なのだということが、ここに明白に述べてある。その御方は、ナーラーヤンやヴァースデヴァ等、御自分の様々な顕現や完全な拡張体をもっている。

献身者たちはハレー・クリシュナを唱えることによって、至上主のどの御姿をでも――ナーラーヤン、クリシュナ、ラーマ、その他――崇拝の対象として常に想っていることができる。この修練はその人を浄化し、生涯を終わるにあたっては、不断の唱名の功徳によって、神の王国に移住することになる。ヨーガの修練は、我が内奥なるパラマートマーを瞑想すること。同時に、ハレー・クリシュナを唱えることで人は常に心を至上首に固く結びつけておくのだ。心は定まり難く移ろいやすい。だから強制的にでも心がクリシュナのことを考えるようにしておく必要がある。よく出る例だが、蝶になりたいと思いつめている毛虫は、同じ生涯の間に蝶に変形してしまう。それと同じことで、私たちも常にクリシュナを想っていれば、この人生が終了する時、必ずクリシュナのような体質を享けることになるのだ。