JA/750614b 朝の散歩 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 ホノルル

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JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴
"Apāṇi-pado javano grahīta (Śvetāśvatara Upaniṣad 3.19) 「神には足も手もないが、贈り物を受け取る。」その 「贈り物を受け取る 」ということは、主は手を持っているということです。では何故「足がない」「手がない 」と言われるのでしょうか?それは、神には物質的な手も足もないということです。主には手も足もありますが、それは精神的なものです。そういう意味です。 Sac-cid-ānanda-vigrahaḥ (Bs. 5.1) 主の体は永遠なる精神でできています。この体は永遠ではありませんが、神には永遠の体があります。神の体は永遠ですから、神が老いるということはあり得ません。永遠でないのは物質的な体です。それは老い、病気、誕生、死にさらされます。"
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