JA/760705c 講義 - シュリーラ・プラブパーダが語る甘露の滴 ワシントンディーシー
JA/Japanese - シュリーラ・プラブパーダからの甘露の滴 |
"つまり、どうやってクリシュナの僕になるか、これが知性なのです。それが人生の完成です。それがムクティです。ムクティとは、4本の手と8つの頭を得ることではありません。いいえ。(笑い)ムクティとは、『シュリーマド・バーガヴァタム』に定義されているような意味です。muktir hitvānyathā rūpaṁ sva-rūpeṇa vyavasthitiḥ (SB 2.10.6). それがムクティです。スヴァ-ルペナ。法的には、本質的には、私は神であるクリシュナの僕です。今、私は犬とマーヤーの僕になってしまいました。ですから、もし私がこの奉仕をやめ、再び神に仕えるようになれば、それがムクティです。それがムクティです。Muktir hitvānyathā rūpam. ここで、マーヤーとは「~ではないもの」を意味します。マーヤー。私たちは皆、「私は主人だ」と思っています。「私はすべてのものの君主である」という英語の詩があります。誰もが「私は計画を立て、調査を行い、王になる」と考えています。しかし、それはマーヤーです。あなたにはなれません。あなたは既にマーヤーの僕なのです。" |
760705 - 講義 CC Madhya 20.100 - Washington D.C. |