JA/Prabhupada 1075 - 我々は今生の活動により次の生の準備をしている: Difference between revisions
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主は言われる anta-kāle ca mām eva smaran muktvā kalevaram (バガヴァッド・ギーター8章5節) | 主は言われる anta-kāle ca mām eva smaran muktvā kalevaram ([[vanisource:BG 8.5 (1972)|バガヴァッド・ギーター8章5節]]) この物質的体を去る、ただ主クリシュナ、至上主神格、を思い出すことにより、その人はただちにsac-cid-ānanda-vigraha (ブラフマ-サンヒター5.1) の精神的体を得る。物質界でこの体を去り他の体を得るプロセスもまた組織化されています。次の生で持つ体の形態が決められた後に人は死にます。しかしそれは高次の権威により決められます。我々の奉仕に応じて、我々は昇格あるいは降格します。同様に、我々の諸行為に応じて我々は‥ この生での諸行為、この生での諸活動は次の生への準備です。我々は次の生の準備をしているのです。この生での活動によって。ですから神の王国への昇格を得るために、我々のこの生を準備できれば、そうすれば確実に、離れた後、この物質の体を去った後、‥ 主は言われる yaḥ prayāti、行く者 sa mad-bhāvaṁ yāti ([[vanisource:BG 8.5 (1972)|バガヴァッド・ギーター8章5節]]) mad-bhāvam その人は主の持つと同じ精神的体を得る、あるいは同じ精神的自然・性質natureを。超越主義者たちには異なる種類があります、既に先に説明しましたように。brahmavādī、paramātmavādī、そして献身者たち。精神的天空すなわちbrahmajyotiの中に精神的惑星群があります。無数の精神的惑星。既に論じました。それらの惑星の数は、この物質界の全ての宇宙より遥かに、遥かに多いのです。この物質界はekāṁśena sthito jagat ([[vanisource:BG 10.42 (1972)|バガヴァッド・ギーター10章42節]]) これは創造全体の1/4の部分出現です。創造の3/4は精神界であり、この創造の1/4の部分に何百万という宇宙があります。それが今現在我々が経験しているものです。そしてその1つの宇宙内に何億何十億という惑星があります。ですからこの全物質界には無数の太陽、星、月、があります。しかしこの全物質界は創造全体のただ出現の1/4を構成する。3/4は精神的天空にあります。このmad-bhāvam、至上ブラフマンの存在へ溶け込むことを欲する者は、至上主のbrahmajyotiに溶け込む Mad-bhāvamは brahmajyotiの中にある精神的惑星群と同様にbrahmajyotiも意味します。そして献身者たち、主との交際の中で楽しむことを望む者たちは、諸惑星、ヴァイクンタ諸惑星に入ります。無数のヴァイクンタ惑星があり、主は、至上主クリシュナは、その完全拡張plenary expansionナーラーヤンにより、四本腕、異なる名を持つナーラーヤン プラデュムナ、アニルッダ、マーダヴァ、ゴーヴィンダ‥ この四本腕のナーラーヤンの名は沢山数え切れないほどあります。その諸惑星の1つ、それもまたmad-bhāvam、それもまた精神的自然の内部にある。どの超越主義者も、生の終わりに、brahmajyotiを思う、Paramātmāについて瞑想する、至上主神格シュリー・クリシュナを思う、どの場合も 精神的天空へと入る。しかし献身者たちだけ、至上主との個人的なふれあいを修練した者たちだけが、ヴァイクンタ諸惑星あるいはゴーロカ・ヴリンダーヴァン惑星へと入る。主は言われる yaḥ prayāti sa mad-bhāvaṁ yāti nāsty atra saṁśayaḥ ([[vanisource:BG 8.5 (1972)|バガヴァッド・ギーター8章5節]]) 疑いはない。疑うべきではありません。それが問題です。全人生を通してバガヴァッド・ギーターを読み続け、しかし主が我々の想像と符合しないことを話すと、それを拒否する。それはバガヴァッド・ギーターの読書法ではありません。ちょうどアルジュナは言った sarvam etaṁ ṛtam manye "我は全てを信ず 主が言われし全て何であれ" 同様に、聞く、聞くこと。主は言う、死の時に、彼を思う者は誰であれ BrahmanあるいはParamātmāあるいは至上主神格いずれであれ、確かにその者は精神的天空へと入る。それについて疑いはない。それを疑うべきではない。そしてそのプロセス、一般則、もまたバガヴァッド・ギーターに述べられています。どのように人はできるか、どのように精神的王国に入り行くことが可能か。ただ至上なるものを死の時に思うことで。一般的プロセスも言及されています ([[vanisource:BG 8.6 (1972)|バガヴァッド・ギーター8章6節]]) ([[vanisource:BG 8.6 (1972)|バガヴァッド・ギーター8章6節]]) | ||
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660219-20 - Lecture BG Introduction - New York
主は言われる anta-kāle ca mām eva smaran muktvā kalevaram (バガヴァッド・ギーター8章5節) この物質的体を去る、ただ主クリシュナ、至上主神格、を思い出すことにより、その人はただちにsac-cid-ānanda-vigraha (ブラフマ-サンヒター5.1) の精神的体を得る。物質界でこの体を去り他の体を得るプロセスもまた組織化されています。次の生で持つ体の形態が決められた後に人は死にます。しかしそれは高次の権威により決められます。我々の奉仕に応じて、我々は昇格あるいは降格します。同様に、我々の諸行為に応じて我々は‥ この生での諸行為、この生での諸活動は次の生への準備です。我々は次の生の準備をしているのです。この生での活動によって。ですから神の王国への昇格を得るために、我々のこの生を準備できれば、そうすれば確実に、離れた後、この物質の体を去った後、‥ 主は言われる yaḥ prayāti、行く者 sa mad-bhāvaṁ yāti (バガヴァッド・ギーター8章5節) mad-bhāvam その人は主の持つと同じ精神的体を得る、あるいは同じ精神的自然・性質natureを。超越主義者たちには異なる種類があります、既に先に説明しましたように。brahmavādī、paramātmavādī、そして献身者たち。精神的天空すなわちbrahmajyotiの中に精神的惑星群があります。無数の精神的惑星。既に論じました。それらの惑星の数は、この物質界の全ての宇宙より遥かに、遥かに多いのです。この物質界はekāṁśena sthito jagat (バガヴァッド・ギーター10章42節) これは創造全体の1/4の部分出現です。創造の3/4は精神界であり、この創造の1/4の部分に何百万という宇宙があります。それが今現在我々が経験しているものです。そしてその1つの宇宙内に何億何十億という惑星があります。ですからこの全物質界には無数の太陽、星、月、があります。しかしこの全物質界は創造全体のただ出現の1/4を構成する。3/4は精神的天空にあります。このmad-bhāvam、至上ブラフマンの存在へ溶け込むことを欲する者は、至上主のbrahmajyotiに溶け込む Mad-bhāvamは brahmajyotiの中にある精神的惑星群と同様にbrahmajyotiも意味します。そして献身者たち、主との交際の中で楽しむことを望む者たちは、諸惑星、ヴァイクンタ諸惑星に入ります。無数のヴァイクンタ惑星があり、主は、至上主クリシュナは、その完全拡張plenary expansionナーラーヤンにより、四本腕、異なる名を持つナーラーヤン プラデュムナ、アニルッダ、マーダヴァ、ゴーヴィンダ‥ この四本腕のナーラーヤンの名は沢山数え切れないほどあります。その諸惑星の1つ、それもまたmad-bhāvam、それもまた精神的自然の内部にある。どの超越主義者も、生の終わりに、brahmajyotiを思う、Paramātmāについて瞑想する、至上主神格シュリー・クリシュナを思う、どの場合も 精神的天空へと入る。しかし献身者たちだけ、至上主との個人的なふれあいを修練した者たちだけが、ヴァイクンタ諸惑星あるいはゴーロカ・ヴリンダーヴァン惑星へと入る。主は言われる yaḥ prayāti sa mad-bhāvaṁ yāti nāsty atra saṁśayaḥ (バガヴァッド・ギーター8章5節) 疑いはない。疑うべきではありません。それが問題です。全人生を通してバガヴァッド・ギーターを読み続け、しかし主が我々の想像と符合しないことを話すと、それを拒否する。それはバガヴァッド・ギーターの読書法ではありません。ちょうどアルジュナは言った sarvam etaṁ ṛtam manye "我は全てを信ず 主が言われし全て何であれ" 同様に、聞く、聞くこと。主は言う、死の時に、彼を思う者は誰であれ BrahmanあるいはParamātmāあるいは至上主神格いずれであれ、確かにその者は精神的天空へと入る。それについて疑いはない。それを疑うべきではない。そしてそのプロセス、一般則、もまたバガヴァッド・ギーターに述べられています。どのように人はできるか、どのように精神的王国に入り行くことが可能か。ただ至上なるものを死の時に思うことで。一般的プロセスも言及されています (バガヴァッド・ギーター8章6節) (バガヴァッド・ギーター8章6節)