JA/Prabhupada 1057 - バガヴァッド・ギーターは「ギーター・ウパニシャッド」、ヴェーダの叡智の精髄、としても知られる: Difference between revisions

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Prabhupada:  
プラブパーダ: <br />
 
我が師に尊敬の礼を捧げる、無知なる闇に盲いた我が眼を知識の松明もて開き、この物質の世界に主チャイタンニャの希みを満たす使命をもたらしたもうたシュリーラ・ルーパ・ゴスワミ・プラブパーダは何時その蓮華の御足に我を保護したもうや。我が師の蓮華の御足と献身奉仕の道にある全ての教師に我が尊敬の礼を捧げる、全てのヴァイシュナヴァと6人のゴスワミに尊敬の礼を捧げる、シュリーラ・ルーパ・ゴスワミ、シュリーラ・サナータナ・ゴスワミ、ラグナータ・ダーサ・ゴスワミ、ジーヴァ・ゴスワミそしてその同胞に。シュリー・アドヴァイタ・アーチャーリヤ・プラブ、シュリー・ニチャーナンダ・プラブ、 シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ、そしてシュリーヴァーサ・タークラを長とする主の献身者たちに。 主クリシュナの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる、シュリマティ・ラーダーラーニーそしてラリターとヴィシャカーを長とするゴピーたちの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる。愛しきクリシュナよ、慈悲の大海、苦しむ者の友、創造の源。牛飼いたちのあるじ、ゴピーたちとりわけラーダーラーニーの愛する者。主に我が尊敬の礼を捧げる。ラーダーラーニーに尊敬を捧げる。その肌は溶けた黄金に似て、ヴリンダーヴァンの女王、ヴリシャバーヌ王の娘、主クリシュナに愛しき者。主のヴァイシュナヴァ献身者たち全員に我が尊敬の礼を捧げる、彼らは望みの木のごとくあらゆる者の望みをかなえ、 落ちた魂たちを憐れむ。シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ、プラブ・ニチャーナンダ、シュリー・アドヴァイタ、ガダーダラ、シュリーヴァーサ、ほか献身の途にある全員に尊敬の礼を捧げる。我が愛しの主、そして主の精神的エネルギーは、主への奉仕に我を従事させたもう。今我はこの物質的奉仕に困惑す、我を主への奉仕に従事させたまえ。<br />
:oṁ ajñāna-timirāndhasya
ギーター・ウパニシャッドへの序文<br />
:jñānāñjana-śalākayā
A. C. バクディヴェーダンタ・スワミ<br />
:cakṣur unmīlitaṁ yena
シュリーマド・バーガヴァタム、他惑星への容易い旅、の著者。バック・トゥ・ゴッドヘッド誌編集者。<br />
:tasmai śrī-gurave namaḥ
バガヴァッド・ギーターは「ギーター・ウパニシャッド」、ヴェーダの叡智の精髄、としても知られ、ヴェーダ文献の諸ウパニシャッド中、最も重要なものとされています。このバガヴァッド・ギーター、英語で解説されたものが既に多くあるのに、 なぜこの英語解説版バガヴァッド・ギーターが必要なのかはこのように説明できます。ある‥あるアメリカ人のご婦人ミセス・シャーロット・ル・ブランが私に尋ねました、どの英語版バガヴァッド・ギーターを読めばいいかと。 もちろんアメリカにはたくさんの英語版バガヴァッド・ギーターがありますが、しかし私の見た限りアメリカにもインドにも、どれも厳格に権威ある版とはいえない版のみでした。なぜならバガヴァッド・ギーターの解説に自分自身の論を述べるばかりで、ありのままのバガヴァッド・ギーターの精神に触れていないからです。バガヴァッド・ギーターの精神はバガヴァッド・ギーターそのものの中に述べられております。それは喩えれば、薬を服用する時には、その薬のラベルに書いてある用法に従うこと。薬を服用する時に自分勝手な方法や友人の指示ではだめで、壜のラベルにある用法と医師の指示に従わなければなりません。同様に、バガヴァッド・ギーターもまた、その話し手である神ご自身がご指示なされたそのままに受け取られるべきであります。
 
(Mo doobale fun oluko mimo mi, toti laa oju mi to fo pelu okunkun aimokan pelu atupa imoye.)
 
:śrī-caitanya-mano-'bhīṣṭaṁ
:sthāpitaṁ yena bhū-tale
:svayaṁ rūpaḥ kadā mahyaṁ
:dadāti sva-padāntikam
 
(Nigbawo ni Śrīla Rūpa Gosvāmī Prabhupāda, toti da egbe yi sile ton sise apinfunni lati fun Oluwa Caitanya ni itelorun,nigbawo lo ma funmi ni idaabo labe ese re?)
 
:vande 'haṁ śrī-guroḥ śrī-yuta-pada-kamalaṁ śrī-gurūn vaiṣṇavāṁś ca
:śrī-rūpaṁ sāgrajātaṁ saha-gaṇa-raghunāthānvitaṁ taṁ sa-jīvam
:sādvaitaṁ sāvadhūtaṁ parijana-sahitaṁ kṛṣṇa-caitanya-devaṁ
:śrī-rādhā-kṛṣṇa-pādān saha-gaṇa-lalitā-śrī-viśākhānvitāṁś ca
 
(Mo doobale si oluko mi ati gbogbo awon alakowe lona ise ifarasi Oluwa. Mo doobale si gbogbo awon Vaisnava ati si awon Gosvami mefa, ati Śrīla Rūpa Gosvāmī, Śrīla Sanātana Gosvāmī, Raghunātha dāsa Gosvāmī, Jīva Gosvāmī pelu gbogbo awon alabasepo won. Mo dobaale si Śrī Advaita Ācārya Prabhu, Śrī Nityānanda Prabhu, Śrī Caitanya Mahāprabhu, pelu awon olufokansin ton tele, ti Śrīvāsa Ṭhākura je olori won. Mosi dobaale si Oluwa Krsna, Śrīmatī Rādhārāṇī ati aawon gopi, peluu Lalita ati Visakha tonje olori won.)
 
:he kṛṣṇa karuṇā-sindho
:dīna-bandho jagat-pate
:gopeśa gopikā-kānta
:rādhā-kānta namo 'stu te
 
(Krsna taya temi, omi okun ore ofe, eyin l'ore awon ton ni ibanuje l'okan ati orisun aye yi. Eyin l'oga awon oluso maalu okurin ati ololufe awon gopi, Radharani ni pataki. Mo teriba si re.)
 
:tapta-kāñcana-gaurāṅgi
:rādhe vṛndāvaneśvari
:vṛṣabhānu-sute devi
:praṇamāmi hari-priye
 
(Mo teriba si Radharani, ti kikodi ara re dabi wura, tosi je ayaba Vrndavana. Iwo ni omo-obirin Oba Vrsabhanu, Oluwa si feran yin gan.)
 
:vāñchā-kalpatarubhyaś ca
:kṛpā-sindhubhya eva ca
:patitānāṁ pāvanebhyo
:vaiṣṇavebhyo namo namaḥ
 
(Mosi teriba si gbogbo awon Vaisnava olufokansi Oluwa. Won le fun gbogbo awon eyan oun ife okan won, gege bi awon igi ton le funwa ni ohun ife okan wa, won si kun fun aanu si awon eda ton ti wolule.)
 
:śrī-kṛṣṇa-caitanya
:prabhu-nityānanda
:śrī-advaita gadādhara
:śrīvāsādi-gaura-bhakta-vṛnda
 
(Mosi doobale si Śrī Kṛṣṇa Caitanya, Prabhu Nityānanda, Śrī Advaita, Gadādhara, Śrīvāsa ati gbogbo awon olufokansi t'Oluwa Caitanya.)
 
:hare kṛṣṇa hare kṛṣṇa kṛṣṇa kṛṣṇa hare hare
:hare rāma hare rāma rāma rāma hare hare
 
(Oluwa mi, ati agbara mimo Oluwa, edakun e fimi sinu ise yin. Ise ile aye yi ti sumi. E jekin sise fun yin.)
 
Oro isaaju si Gitopanisad ti A.C Bhaktivendanta Swami, Onkowe ti'we Srimad- Bhagavatam, Irin ajo to rorun si awon isogbe imi, olootu fun Yipada s'Oluwa, ati bayi bayi lo.  
 
Oruko imi fun Gitopanisad ni Bhagavad-gita, koko oro imoye Veda, ati ikan ninu awon Upanisad tose pataki ju ninu imoye Veda. Bhagavad-gita yi, awon asọye repete wa ninu ede geesi A le salaaye bayi lati mo idi fun asọye imi lori Bhagavad-gita ni ede geesi. Ikan... Obirin olugbe America kan, Charlotte Le Blanc si beere lowo mi kin juwe Bhagavad-gita kan ni ede geesi tole ka. Looto ni'le America aimoye awon orisirisi Bhagavad-gita to wa ni ede geesi, sugbon bi mose ri gbogbo won, ni America ni kan ko, ati India na, Kosi ikan kan ninu won to daju, nitoripe gbogbo won lon salaaye bose wun won ninu awon asọye lori Bhagavad-gita lai fowokan emi to daju ti Bhagavad-gita gege bose je.
 
Eto nipa emi Bhagavad-gita si n'be ninu Bhagavad-gita gan. Bayi lose ri. Teyin ba fe mu ogun, lehin na e gbodo tele ijuwe towa lori igo ogun na. Awa o le dede bere sini m'ogun na basefe, tabi b'ore wa se so funwa, sugbon agbodo m'ogun na gege b'on se juwe lori paali re tabi bi ologun se juwe.
 
Beena, Agbodo gba Bhagavad-gita gege bi eni to salaaye re se so.
 
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'''Japanese'''
 
プラブパーダ: 我が師に尊敬の礼を捧げる 無知なる闇に盲いた我が眼を知識の松明もて開き この物質の世界に主チャイタンニャの希みを満たす使命をもたらしたもうたシュリーラ・ルーパ・ゴスワミ・プラブパーダは 何時その蓮華の御足に我を保護したもうや 我が師の蓮華の御足と献身奉仕の道にある全ての教師に我が尊敬の礼を捧げる 全てのヴァイシュナヴァと6人のゴスワミに尊敬の礼を捧げる シュリーラ・ルーパ・ゴスワミ、シュリーラ・サナータナ・ゴスワミ、ラグナータ・ダーサ・ゴスワミ、ジーヴァ・ゴスワミそしてその同胞に シュリー・アドヴァイタ・アーチャーリヤ・プラブ、シュリー・ニチャーナンダ・プラブ、 シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ、そしてシュリーヴァーサ・タークラを長とする主の献身者たちに 主クリシュナの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる シュリマティ・ラーダーラーニーそしてラリターとヴィシャカーを長とするゴピーたちの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる 愛しきクリシュナよ、慈悲の大海 苦しむ者の友、創造の源 牛飼いたちのあるじ、ゴピーたちとりわけラーダーラーニーの愛する者 主に我が尊敬の礼を捧げる ラーダーラーニーに尊敬を捧げる その肌は溶けた黄金に似て、ヴリンダーヴァンの女王 ヴリシャバーヌ王の娘、主クリシュナに愛しき者 主のヴァイシュナヴァ献身者たち全員に我が尊敬の礼を捧げる 彼らは望みの木のごとくあらゆる者の望みをかなえ 落ちた魂たちを憐れむ シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ、プラブ・ニチャーナンダ、 シュリー・アドヴァイタ、ガダーダラ、シュリーヴァーサ、ほか献身の途にある全員に尊敬の礼を捧げる 我が愛しの主、そして主の精神的エネルギーは、主への奉仕に我を従事させたもう 今我はこの物質的奉仕に困惑す 我を主への奉仕に従事させたまえ ギーター・ウパニシャッドへの序文 A. C. バクディヴェーダンタ・スワミ シュリーマド・バーガヴァタム、他惑星への容易い旅、の著者 バック・トゥ・ゴッドヘッド誌編集者 バガヴァッド・ギーターは「ギーター・ウパニシャッド」、ヴェーダの叡智の精髄、としても知られ ヴェーダ文献の諸ウパニシャッド中、最も重要なものとされています このバガヴァッド・ギーター、英語で解説されたものが既に多くあるのに なぜこの英語解説版バガヴァッド・ギーターが必要なのかはこのように説明できます ある あるアメリカ人のご婦人ミセス・シャーロット・ル・ブランが私に尋ねました どの英語版バガヴァッド・ギーターを読めばいいかと もちろんアメリカにはたくさんの英語版バガヴァッド・ギーターがありますが しかし私の見た限りアメリカにもインドにも どれも厳格に権威ある版とはいえない版のみでした なぜならバガヴァッド・ギーターの解説に自分自身の論を述べるばかりで ありのままのバガヴァッド・ギーターの精神に触れていないからです バガヴァッド・ギーターの精神はバガヴァッド・ギーターそのものの中に述べられております それは喩えれば 薬を服用する時には その薬のラベルに書いてある用法に従うこと 薬を服用する時に自分勝手な方法や友人の指示ではだめで 壜のラベルにある用法と医師の指示に従わなければなりません 同様に、バガヴァッド・ギーターもまた、その話し手である神ご自身がご指示なされたそのままに受け取られるべきであります


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Latest revision as of 07:38, 28 June 2021



660219-20 - Lecture BG Introduction - New York

プラブパーダ:
我が師に尊敬の礼を捧げる、無知なる闇に盲いた我が眼を知識の松明もて開き、この物質の世界に主チャイタンニャの希みを満たす使命をもたらしたもうたシュリーラ・ルーパ・ゴスワミ・プラブパーダは何時その蓮華の御足に我を保護したもうや。我が師の蓮華の御足と献身奉仕の道にある全ての教師に我が尊敬の礼を捧げる、全てのヴァイシュナヴァと6人のゴスワミに尊敬の礼を捧げる、シュリーラ・ルーパ・ゴスワミ、シュリーラ・サナータナ・ゴスワミ、ラグナータ・ダーサ・ゴスワミ、ジーヴァ・ゴスワミそしてその同胞に。シュリー・アドヴァイタ・アーチャーリヤ・プラブ、シュリー・ニチャーナンダ・プラブ、 シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ、そしてシュリーヴァーサ・タークラを長とする主の献身者たちに。 主クリシュナの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる、シュリマティ・ラーダーラーニーそしてラリターとヴィシャカーを長とするゴピーたちの蓮華の御足に尊敬の礼を捧げる。愛しきクリシュナよ、慈悲の大海、苦しむ者の友、創造の源。牛飼いたちのあるじ、ゴピーたちとりわけラーダーラーニーの愛する者。主に我が尊敬の礼を捧げる。ラーダーラーニーに尊敬を捧げる。その肌は溶けた黄金に似て、ヴリンダーヴァンの女王、ヴリシャバーヌ王の娘、主クリシュナに愛しき者。主のヴァイシュナヴァ献身者たち全員に我が尊敬の礼を捧げる、彼らは望みの木のごとくあらゆる者の望みをかなえ、 落ちた魂たちを憐れむ。シュリー・クリシュナ・チャイタンニャ、プラブ・ニチャーナンダ、シュリー・アドヴァイタ、ガダーダラ、シュリーヴァーサ、ほか献身の途にある全員に尊敬の礼を捧げる。我が愛しの主、そして主の精神的エネルギーは、主への奉仕に我を従事させたもう。今我はこの物質的奉仕に困惑す、我を主への奉仕に従事させたまえ。
ギーター・ウパニシャッドへの序文
A. C. バクディヴェーダンタ・スワミ
シュリーマド・バーガヴァタム、他惑星への容易い旅、の著者。バック・トゥ・ゴッドヘッド誌編集者。
バガヴァッド・ギーターは「ギーター・ウパニシャッド」、ヴェーダの叡智の精髄、としても知られ、ヴェーダ文献の諸ウパニシャッド中、最も重要なものとされています。このバガヴァッド・ギーター、英語で解説されたものが既に多くあるのに、 なぜこの英語解説版バガヴァッド・ギーターが必要なのかはこのように説明できます。ある‥あるアメリカ人のご婦人ミセス・シャーロット・ル・ブランが私に尋ねました、どの英語版バガヴァッド・ギーターを読めばいいかと。 もちろんアメリカにはたくさんの英語版バガヴァッド・ギーターがありますが、しかし私の見た限りアメリカにもインドにも、どれも厳格に権威ある版とはいえない版のみでした。なぜならバガヴァッド・ギーターの解説に自分自身の論を述べるばかりで、ありのままのバガヴァッド・ギーターの精神に触れていないからです。バガヴァッド・ギーターの精神はバガヴァッド・ギーターそのものの中に述べられております。それは喩えれば、薬を服用する時には、その薬のラベルに書いてある用法に従うこと。薬を服用する時に自分勝手な方法や友人の指示ではだめで、壜のラベルにある用法と医師の指示に従わなければなりません。同様に、バガヴァッド・ギーターもまた、その話し手である神ご自身がご指示なされたそのままに受け取られるべきであります。