JA/Prabhupada 1066 - 知性に乏しい人々は至上真実を非人格と考える: Difference between revisions

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ですから全ての取り決めは中心人物、創造の中心人物、 享楽の中心人物、は至上主であり 生命体たち、彼らは単純に協力者である、ということです 協力により、協力することで生命体たちは楽しむ ちょうど主従関係に似ています 主人が満足すれば、主人が充分に満足すれば 従者たちはおのずと満たされます それが法則です 同様に、至上主が満足せられるべきであり 創造者になる性向とこの物質界を享楽する性向があるにしてもです それらは生命体たちの内にもあります なぜなら至上主の内にあるから 至上主が創造なさった 至上主が発現宇宙界を創造なさった 故に我々はこのバガヴァッド・ギーターに見い出すことでしょう 完全な全体 至上の制御者、制御される生命体たち、宇宙発現、 永遠の時間、諸活動、を包含する その全てが完全に説明されていることを 完全に総合したその全体が絶対真実と呼ばれます 完全なる全体、至上絶対真実、は故に完全な至上主神格シュリー・クリシュナです 私が説明しましたように、 発現は主の異なる諸エネルギーによるものであり そして主が完全な全体です 非人格ブラフマンはバガヴァッド・ギーターにおいてこう説明されます 非人格ブラフマンもまた完全な人物に従属するものであると Brahmaṇo 'haṁ pratiṣṭhā (バガヴァッド・ギーター14章27節) 非人格ブラフマンもまた。それは‥ 非人格ブラフマンはブラフマ-スートラにおいてより明瞭に、光線として解説されています 太陽の、太陽の輝きの光線のように 同様に、非人格ブラフマンは輝く放射光線です 至上なるブラフマン、すなわち至上主神格、の 故に非人格ブラフマンは、絶対完全全体の不完全な認識です そしてまたパラマートマーの概念の不完全な認識です これらのことも説明されています。Puruṣottama-yoga Puruṣottama-yogaの章を読むとき 至上なる人物、Puruṣottama、は は非人格ブラフマンと、パラマートマーの部分的認識とを越えることがわかるでしょう 至上主神格はこう呼ばれます sac-cid-ānanda-vigrahaḥ (ブラフマ-サンヒター5章1節) ブラフマ-サンヒターにおいてそれはこう始まります īśvaraḥ paramaḥ kṛṣṇaḥ sac-cid-ānanda-vigrahaḥ/ anādir ādir govindaḥ sarva-kāraṇa-kāraṇam (ブラフマ-サンヒター5章1節) "ゴーヴィンダ、クリシュナ、は全原因の原因 そが原初の主なり" 至上主神格はsac-cid-ānanda-vigrahaḥ 非人格ブラフマン認識は主のsac部分、永遠性、の認識です そしてパラマートーマー認識はsat-cit、永遠なる知識の部分の認識 しかしクリシュナとしての主神格の認識は 全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です Vigrahaとは「形態」の意味です Vigrahaとは「形態」の意味 Avyaktaṁ vyaktim āpannaṁ manyante mām abuddhayaḥ (バガヴァッド・ギーター7章24節) 知性に乏しい人々は至上真実を非人格と考える しかし至上真実、それは人物、一人の超越的人物、である このことは全ヴェーダ文献において確証されています Nityo nityānāṁ cetanaś cetanānām (カタ・ウパニシャッド2.2.13) 我々もまた人物、個々の生物、であり、我々は人々で、自らの個別性を持ち、我々は皆個々です 同様に、至上真実、至上絶対、も究極的には人物です 主神格の認識は全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です Vigrahaとは「形態」の意味です 故に完全な全体は無形ではない もし主が無形であるなら、もしくは何かに欠けているなら、完全な全体ではありえません 完全な全体は我々の経験にある全てそして我々の経験を超えた全てを持つはずです でなければ完全ではありえない 完全な全体である主神格は限りない潜在力を持ちます (チャイタンニャチャリタームリタ マディヤリラ13章65解説) それはバガヴァッド・ギーターにおいても説明されています 異なる潜在力において、どう主は活動なされるか この現象界、物質界、我々が現在入れられている物質界もそれ自身で完全です なぜならpūrṇam idam (シュリー・イーシャ-ウパニシャッド 祈念) 24要素、サーンキャ哲学によると この物質宇宙は24要素で構成される一時的発現であり その24要素は、この宇宙の維持と存続に必要な物を完全に産出するよう完全に調整されている 宇宙の維持に他のユニットによる外部からの努力は必要ない 宇宙は独自の時間にあり、それは完全な全体のエネルギーにより定められている そして時間が完結すると、それら一時的諸発現は完全なるものの完全な取り決めにより破壊されます
ですから全ての取り決めは中心人物、創造の中心人物、 享楽の中心人物、は至上主であり、生命体たち、彼らは単純に協力者である、ということです。協力により、協力することで生命体たちは楽しむ。ちょうど主従関係に似ています。主人が満足すれば、主人が充分に満足すれば、従者たちはおのずと満たされます。それが法則です。同様に、至上主が満足せられるべきであり、創造者になる性向とこの物質界を享楽する性向があるにしてもです。それらは生命体たちの内にもあります。なぜなら至上主の内にあるから。至上主が創造なさった。至上主が発現宇宙界を創造なさった。故に我々はこのバガヴァッド・ギーターに見い出すことでしょう。完全な全体、至上の制御者、制御される生命体たち、宇宙発現、永遠の時間、諸活動、を包含する、その全てが完全に説明されていることを。完全に総合したその全体が絶対真実と呼ばれます。完全なる全体、至上絶対真実、は故に完全な至上主神格シュリー・クリシュナです。私が説明しましたように、発現は主の異なる諸エネルギーによるものであり、そして主が完全な全体です。非人格ブラフマンはバガヴァッド・ギーターにおいてこう説明されます。非人格ブラフマンもまた完全な人物に従属するものであると。Brahmaṇo 'haṁ pratiṣṭhā ([[vanisource:BG 14.27 (1972)|バガヴァッド・ギーター14章27節]]) 非人格ブラフマンもまた。それは‥ 非人格ブラフマンはブラフマ-スートラにおいてより明瞭に、光線として解説されています。太陽の、太陽の輝きの光線のように。同様に、非人格ブラフマンは輝く放射光線です。至上なるブラフマン、すなわち至上主神格、の。故に非人格ブラフマンは、絶対完全全体の不完全な認識です。そしてまたパラマートマーの概念の不完全な認識です。これらのことも説明されています。Puruṣottama-yoga Puruṣottama-yogaの章を読むとき、至上なる人物、Puruṣottama、は、非人格ブラフマンと、パラマートマーの部分的認識とを越えることがわかるでしょう。至上主神格はこう呼ばれます sac-cid-ānanda-vigrahaḥ (ブラフマ-サンヒター5章1節) ブラフマ-サンヒターにおいてそれはこう始まります īśvaraḥ paramaḥ kṛṣṇaḥ sac-cid-ānanda-vigrahaḥ/ anādir ādir govindaḥ sarva-kāraṇa-kāraṇam (ブラフマ-サンヒター5章1節) "ゴーヴィンダ、クリシュナ、は全原因の原因 そが原初の主なり" 至上主神格はsac-cid-ānanda-vigrahaḥ 非人格ブラフマン認識は主のsac部分、永遠性、の認識です。そしてパラマートーマー認識はsat-cit、永遠なる知識の部分の認識。しかしクリシュナとしての主神格の認識は、全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です。Vigrahaとは「形態」の意味です。Vigrahaとは「形態」の意味。Avyaktaṁ vyaktim āpannaṁ manyante mām abuddhayaḥ ([[vanisource:BG 7.24 (1972)|バガヴァッド・ギーター7章24節]]) 知性に乏しい人々は至上真実を非人格と考える。しかし至上真実、それは人物、一人の超越的人物、である。このことは全ヴェーダ文献において確証されています。Nityo nityānāṁ cetanaś cetanānām (カタ・ウパニシャッド2.2.13) 我々もまた人物、個々の生物、であり、我々は人々で、自らの個別性を持ち、我々は皆個々です。同様に、至上真実、至上絶対、も究極的には人物です。主神格の認識は全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です。Vigrahaとは「形態」の意味です。故に完全な全体は無形ではない。もし主が無形であるなら、もしくは何かに欠けているなら、完全な全体ではありえません。完全な全体は我々の経験にある全てそして我々の経験を超えた全てを持つはずです。でなければ完全ではありえない。完全な全体である主神格は限りない潜在力を持ちます ([[vanisource:CC Madhya 13.65|チャイタンニャチャリタームリタ マディヤリラ13章65解説]]) それはバガヴァッド・ギーターにおいても説明されています。異なる潜在力において、どう主は活動なされるか。この現象界、物質界、我々が現在入れられている物質界もそれ自身で完全です。なぜならpūrṇam idam (シュリー・イーシャ-ウパニシャッド 祈念) 24要素、サーンキャ哲学によると この物質宇宙は24要素で構成される一時的発現であり、その24要素は、この宇宙の維持と存続に必要な物を完全に産出するよう完全に調整されている。宇宙の維持に他のユニットによる外部からの努力は必要ない。宇宙は独自の時間にあり、それは完全な全体のエネルギーにより定められている。そして時間が完結すると、それら一時的諸発現は完全なるものの完全な取り決めにより破壊されます。
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660219-20 - Lecture BG Introduction - New York

ですから全ての取り決めは中心人物、創造の中心人物、 享楽の中心人物、は至上主であり、生命体たち、彼らは単純に協力者である、ということです。協力により、協力することで生命体たちは楽しむ。ちょうど主従関係に似ています。主人が満足すれば、主人が充分に満足すれば、従者たちはおのずと満たされます。それが法則です。同様に、至上主が満足せられるべきであり、創造者になる性向とこの物質界を享楽する性向があるにしてもです。それらは生命体たちの内にもあります。なぜなら至上主の内にあるから。至上主が創造なさった。至上主が発現宇宙界を創造なさった。故に我々はこのバガヴァッド・ギーターに見い出すことでしょう。完全な全体、至上の制御者、制御される生命体たち、宇宙発現、永遠の時間、諸活動、を包含する、その全てが完全に説明されていることを。完全に総合したその全体が絶対真実と呼ばれます。完全なる全体、至上絶対真実、は故に完全な至上主神格シュリー・クリシュナです。私が説明しましたように、発現は主の異なる諸エネルギーによるものであり、そして主が完全な全体です。非人格ブラフマンはバガヴァッド・ギーターにおいてこう説明されます。非人格ブラフマンもまた完全な人物に従属するものであると。Brahmaṇo 'haṁ pratiṣṭhā (バガヴァッド・ギーター14章27節) 非人格ブラフマンもまた。それは‥ 非人格ブラフマンはブラフマ-スートラにおいてより明瞭に、光線として解説されています。太陽の、太陽の輝きの光線のように。同様に、非人格ブラフマンは輝く放射光線です。至上なるブラフマン、すなわち至上主神格、の。故に非人格ブラフマンは、絶対完全全体の不完全な認識です。そしてまたパラマートマーの概念の不完全な認識です。これらのことも説明されています。Puruṣottama-yoga Puruṣottama-yogaの章を読むとき、至上なる人物、Puruṣottama、は、非人格ブラフマンと、パラマートマーの部分的認識とを越えることがわかるでしょう。至上主神格はこう呼ばれます sac-cid-ānanda-vigrahaḥ (ブラフマ-サンヒター5章1節) ブラフマ-サンヒターにおいてそれはこう始まります īśvaraḥ paramaḥ kṛṣṇaḥ sac-cid-ānanda-vigrahaḥ/ anādir ādir govindaḥ sarva-kāraṇa-kāraṇam (ブラフマ-サンヒター5章1節) "ゴーヴィンダ、クリシュナ、は全原因の原因 そが原初の主なり" 至上主神格はsac-cid-ānanda-vigrahaḥ 非人格ブラフマン認識は主のsac部分、永遠性、の認識です。そしてパラマートーマー認識はsat-cit、永遠なる知識の部分の認識。しかしクリシュナとしての主神格の認識は、全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です。Vigrahaとは「形態」の意味です。Vigrahaとは「形態」の意味。Avyaktaṁ vyaktim āpannaṁ manyante mām abuddhayaḥ (バガヴァッド・ギーター7章24節) 知性に乏しい人々は至上真実を非人格と考える。しかし至上真実、それは人物、一人の超越的人物、である。このことは全ヴェーダ文献において確証されています。Nityo nityānāṁ cetanaś cetanānām (カタ・ウパニシャッド2.2.13) 我々もまた人物、個々の生物、であり、我々は人々で、自らの個別性を持ち、我々は皆個々です。同様に、至上真実、至上絶対、も究極的には人物です。主神格の認識は全ての超越的特徴 satとcitとānanda、完全なvigrahaにおいての認識です。Vigrahaとは「形態」の意味です。故に完全な全体は無形ではない。もし主が無形であるなら、もしくは何かに欠けているなら、完全な全体ではありえません。完全な全体は我々の経験にある全てそして我々の経験を超えた全てを持つはずです。でなければ完全ではありえない。完全な全体である主神格は限りない潜在力を持ちます (チャイタンニャチャリタームリタ マディヤリラ13章65解説) それはバガヴァッド・ギーターにおいても説明されています。異なる潜在力において、どう主は活動なされるか。この現象界、物質界、我々が現在入れられている物質界もそれ自身で完全です。なぜならpūrṇam idam (シュリー・イーシャ-ウパニシャッド 祈念) 24要素、サーンキャ哲学によると この物質宇宙は24要素で構成される一時的発現であり、その24要素は、この宇宙の維持と存続に必要な物を完全に産出するよう完全に調整されている。宇宙の維持に他のユニットによる外部からの努力は必要ない。宇宙は独自の時間にあり、それは完全な全体のエネルギーにより定められている。そして時間が完結すると、それら一時的諸発現は完全なるものの完全な取り決めにより破壊されます。